ハードウェアのAppleとソフトウェアのNeXTでそれぞれ10年経験を終えたからこそiPhoneが産まれたのではないかと感じさせる、貴重なインタビュー映像『スティーブジョブズ 失われたインタビュー 1995』

 
 
Netflixでこちら『スティーブジョブズ 失われたインタビュー 1995』の60分強のフルインタビュー映像を見ました。
 
当時のこのインタビューの後日、マスターテープが紛失していたようですが、この映像作成・公開3日前にコピーのテープが見つかったようで、こちらはそれが公開されたものになります。
 
ジョブズAppleを追い出されて10年になり、NEXTにいる時のインタビュー。
彼はこの1年半後Appleへ戻りました。
 
そんな狭間で何を見て、考え、信じていたのか。
 
伝記ではわからない、生のスティーブ・ジョブズの表情、声から多様な知見を伺えます。
 
以下はその話題の内容をおおまかにメモしたものになります。
 
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最初のコンピュータに触れたきっかけは10-11歳ごろでNASAにて
昔はコンピュータといえばただの箱みたいなイメージだった
コンピュータで自分の書いたプログラムが意図した通りに動作することに感動を覚えた
 
12歳
「部品を求めてのそのベルの社長への直の20分間の電話は人生で忘れられない経験になった」
ベル社は人材を大事にしていた
朝10時のドーナツとコーヒーのカート
会社のコンピュータ9100を何時間も使ってプログラム書いていた
 
15-6歳
ブルーボックスの開発、無料電話の仕組みはスタンフォードの科学センターの図書館の最も奥の棚で見つけた
AT&T社の仕様書だった、それは
その通信の仕様は過ちとして人間の声と同じ周波数に設定されていた
それをハックした
世界中にかけられる、当時世界一の仕組みだった
 
この数十億ドルの価値をもつ何かをなにも知識を持たない自分ら若者らが作れるんだという経験はその後、Appleの立ち上げにとても影響を与えた
 
友だちに売ってた基盤は、身の回りのもの、車とかを売ってお金を作って、その基盤設計を人にやってもらった
 
基盤をいじれるハードウェア好きの1人に対しプログラムは触れるソフトウェア派が1000人はいた
昔の自分もそこからだった
 
そこから最初から作りたてのコンピュータを販売することに
 
プログラミングはリベラルアーツ、教養だ
米国民全員、考える方法を学ぶために一年はプログラミングを学ぶべきだ
 
「人間を捨てた男」と言われた
 
「君のお金でなく、君がほしい」
対等な関係を求めた
当時彼はインテルを30歳ごろでストックオプション売却で数億円を得て出て、家で1日中石油とかに投資していた。なんかやりたがってたのかもしれない。
 
結局彼に投資もしてもらってApple ニの開発に必要だった数千万円も集まった
その後数ヶ月後して出展でその会場で最も注目を集めディーラーが殺到した
 
そこから年々で10倍ごとに資産は増えてった
 
大事なのは金よりも会社だった
確かに金があればすぐには利益が上がらない事業にも投資できたりするけど
株も売らなかった 会社の成功を信じてた
 
経営
ビジネスの世界では物事が深く考えられていない。
慣例を疑い臆せず質問を続け判断し働いていればビジネスの心得は特段の教育を受けなくても身につく。
工場での標準原価という実際に原価が測定できないがゆえにあいまいに数字を決めてしまっている話 情報システムに問題があること
なぜそうするのか、そう決まっているから、という言い伝えにビジネスの多くの物事が縛られている
 
市場の独占に貢献したマーケや営業が上役、経営にいくことが多いが
そもそも良い製品、研究者らの技術がないとそこまでは辿りつけないのではないか
 
AppleGUI構想を取り入れた製品づくりにおいて、一度成功を経験してプロセス重視な考えで内容を軽視していた元ヒューレットパッカードの引き抜き社員らが厄介だった
マウスの価格、工程期間などの想定の誤り
 
リサの失敗は数ヶ月は引きずっていた
でも今このGUIをどうにか活用しないとAppleはやばいと思い天命を負ったかのように動き出した
 
石や水、砂とぶつかって音を出しながら研磨されて美しくなる石は、よいチームの象徴のようなものだ(詩的だな
Aクラスの人材を集めること 5人
そうすると勝手にレベルは維持される 下げたくないから
MACはチームでの成果
 
他の業界では平均と最高でもいって2倍、だいたい2-3割しか変わらないが
ソフトウェア・ハードウェアの世界は平均と最高のもので1000倍違うこともある
 
私は自分が正しいかにこだわらない
成功すれば何でもいい
反対の証拠を見たときは180度意見を変える
実際私はよく間違うが最後の決断が正しければよい
*終わりよければ全て良し
 
DTPが到来することは予測していた
ジョブズは自分たちよりも上のソフトウェアを作っている元パロアルト研究者らの人たちに「ソフトウェア会社を作れよ」と言った。
それで設立されたアドビに2割出資した
 
1985年の追放
ジョンスカリーとの件
ただ人選を間違った
 
1984年の不況
リーダーシップの不在
問題の凝縮
取締役会の不安視
スカリーの自身の保身
 
今思うにまだ30歳だし20億ドルの企業を率いる、組織をまとめあげる能力はなかっただろう
 
今のAppleは地面へ墜落しようとしている
10年前に比べ2割しか前進していない、5億ほど研究開発に投資されているはずなのに
10年かけてマイクロソフトは追いついた
 
会社の成功は彼らの努力 チャンスをつかんだこと
私は製品によく思っていない
オリジナルがない
製品に魂が感じられない
顧客も魂を求めていない
マクドナルドみたいなものだ
これでは人類は進歩しない
 
ソフトウェアが世界を動かす力になってきた
 
10年後の未来はどうなっていると思う?
開発中の技術におけるビジョンは?
 
インターネットとウェブ
名もなき小さな会社が大きくなれる
ウェブがコンピュータのソーシャルの地位、社会的地位を獲得する
*Facebookの登場を全然予見している すごいな
 
方向を見極めるには?
正しい方向はセンスがあればわかる
 
人類が生み出してきたこれまでの素晴らしいものに触れ自分のやっていることに取りいれることだ
 
MACが素晴らしい製品になった一つの理由はコンピュータ科学で屈指の知識をもつ専門家が、音楽や詩、芸術、動物、歴史の知識も持ち合わせていたことだ
 
そういう人らが作り上げる行為は非常に文化的な行為だった(リベラルアーツ
空気感というか
文化的な姿勢で開発に取り組んだ
視野が狭いとそうはいかないだろう
 
私はオタクかヒッピーの2択ならヒッピーだ
ソロー
インドの神秘学者
 
コンピュータを作ることを目的と思っていない
誰かに何かを伝えたいと思ったときに最も有効なのがコンピュータ
その道具としてつくっている
 
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このインタビューのその後に、ハードとソフト両者を統合するiTunesiPhoneというデバイス、プラットフォームを生み出していること。
を考えると、ハードウェアのAppleから一度飛ばされてソフトウェアのNEXTでの経験や、そこから客観的に市況を見る機会があったからこそ、両者を統合するiPhoneが生まれた部分もあるのかもしれない。
もし飛ばされていなかったらAppleでハードウェアに集中しすぎていてソフトウェアの時流を見逃していたのかもしれない。
現在からこの過去を振り返って見ると、そうも捉えうる、ちょうど狭間のいい時期のインタビューでした。
広い視野を持つリベラルアーツ、それを美のために統合することの重要性。をより一層感じた。
MacトラックパッドiPhoneのタッチスクリーンのさわり心地、心地よさは、人間工学もとい、動物・生物学への理解がないと生まれないと個人的に思った。)
 
まずは人類の歴史、良き遺産に触れ、センスを磨いていきます。
 
#SteveJobs